シューマンの指 その2です。

奥泉 光さんの「シューマンの指」はミステリー小説ということになっているので、
ねたばれ的なことは無粋なので書きません。
この小説は、シューマンの音楽、特にピアノ曲について、作者の感じた印象や解釈がたくさん書かれています。
わたしは、作者がシューマンの音楽に対してアプローチする、その音楽小説的な部分にとても惹かれました。
まあ、ミステリーはおまけみたいなものです。
この小説自体は基本的に、主人公である里橋優の手記という形で綴られます。
その文章は情緒的で感傷的で、陰鬱で、まるで灰色の海をずっと眺めているような感じです。
作者がシューマンのピアノ曲について、全編を通して、繰り返し、表現や言葉を変えながら、
言っていることは、たった一つのことでした。
以下に小説の中から、その文章をピック・アップして、掲載します。
「一つの曲の後ろ、というか、陰になった見えないところで、別の曲がずっと続いているような感じがするんだよね」
「シューマンはね突然はじまるんだ。ずっと続いている音楽が急に聴こえてきたみたいにね。」
「シューマンは <中略> 彼自身が一つの楽器なんだ。 <中略> だから彼がピアノを弾いたとしても、
それはシューマンのなかで鳴っている音楽の、ほんの一部分でしかないんだ」
「シューマンの中ではたくさんの音楽が鳴り響いており、それは「地層」のように折り重なっている。
私たちには地表に現れた土地しか見えないが、眼に見えぬ地面の下には無数の「地層」が隠され・・・」
「翼を一杯に拡げ羽撃く金色の鳥は、太古から宇宙を飛び続けてきたのであり、その神話の鳥が、忽然、姿を現したのである。」
「シューマンの音楽はずっとどこかで続いていた音楽が、急に聴こえてきたようでなければならない。」
「いきなり断ち切られ血がほとばしるように弾いて初めて、シューマンが導きだそうとしている音楽の広がりは表現できるのだ。」
「地層のように果てしなく続く、この世界にすでにある音楽」
シューマンのピアノ曲を聴くと、まさにこんな感じがするわけで、
ほんと唐突に、激しく、狂気のような音楽が展開されたりします。
それは作者がいうように、ずっと続いていた音楽の一部分のようでもあり、
隠れている部分に無数の音楽があるようでもあり、神話の鳥が忽然と姿を現したようでもあります。
わたしは、そうであったのかと思いました。
作者のシューマンのピアノ曲を聴いた印象と、わたしがシューマンに持っていた印象が、
この本を読んで、重なり合ったのだと思いました。
わたしがシューマンのピアノ曲を聴きはじめたのは、
当時、付き合っていた女の子が、
「シューマンのノベレッテ、オーパス21がわたしのテーマ曲なの!」
と言ったから。
その時まで、わたしはシューマンのピアノ曲をほどんど知りませんでした。
さっそくCDをさがして購入すると、ノベレッテop21は8曲からなる小曲集で、
どの曲のことを言っているのかよく分かりませんでした。
それで彼女に「そのうち何曲目?」と聞くと、
彼女は「第1曲目」と答えました。
なんでこの曲が、テーマ曲なんだろうと、わたしはずいぶん考えました。
彼女がピアノを弾いていたからそうなのかなと思いましたが、ピアノなんて弾けないと言います。
「この曲を聴いて、自分にネジを巻くんだ。」
と彼女は言っていました。
それから、それこそ数え切れないくらいにノベレッテop21を聴きましたが、
どうもわたしには、この曲集がネジ巻き音楽には聞こえない。
もしかしたら、その時彼女は、この曲の耳には聴こえない隠れている音楽、
そう全く別の音楽を聴いていたのかも知れないと、今この小説を読んで思います。
いずれにしても、それ以来シューマンのピアノ曲はわたしの友達です。